「自信」と「思い上がり」
いい意味での「自信」は、その人の人格を高め、仕事にも良い結果を上げるが、「思い上がり」は、見苦しく、悲惨な結果を生む。客観的に見ると、とても自信を持てるようなレベルではないのに、「自信」を持っている人のことを「自信家」と言うのだろう。しかし自分では、そんな「思い上がり」に気づかないことが多いのではないだろうか。また、周りの人も、その「自信」に惑わされて、力があるかのように誤解してしまう場合もある。
ずい分前のことになるが、ご近所に、ある楽器をしている人がいた。その人は、その楽器を専門的に勉強したのでもなく、子どもの頃、学校にあった楽器を借りて練習していたという程度で、また、その後もずっと続けていたというわけでもないらしい。結婚してから、楽器を買い、また始めたようだ。そしてある時、私のところに質問に来られた。非常に初歩的な楽譜の、非常に初歩的なことを。そして数日後、なんと、その人のところに生徒さんが来て、その楽譜の曲を教えているではありませんか。驚き!また、その人は、楽器ばかりではなく、木目込み人形、パンフラワーなどの手芸も、生徒さんを集めて教えている。一度どこかで講習を受けてきただけで、もうすぐに人に教えることができるとは、何と言う「自信家」なのでしょう。
まあ、その他にもいろいろと「思い上がり」のひどい人を、よく見かける。自分の力の無さが分からないということは、どんなものが優れているのかが分かっていないということだ。何だかそういうことが、とても気になる昨今です。「人の振り見て我が振りなおす」私も気をつけよう!