ピアノ教師引退・・・
30年ほど、ピアノ教師をしてきたけれど、最近とても苦痛になってきたし、ちょうど生徒もだんだんいなくなってきたので、もうこの辺で引退かな、と考えている。
20年ほど前は、生徒も大勢いて、やる気のある子も何人かいた。音大の受験生もいたりして、教え甲斐もあった。不景気になって、ピアノを習う子の絶対数が少なくなると、比例して、ピアノが本当に好きでやる気のある子の数も少なくなる。ピアノが好きでもなく、練習もろくにしないのに、なぜピアノを習うのだろうか?習わせるのだろうか?他に向いていることがあるかもしれないのに、無駄に時間とお金を使っているとしか思えない子もいる。
それでも真面目なピアノの先生は、ストレスを溜めながら、やる気のない子と向き合って、なんとかピアノを好きになってもらえないか、練習する気になってくれないかと悪戦苦闘する。悲しいことに、ピアノという楽器は、家で練習して来ないでレッスンの時だけ弾いても決して弾けるようにはならない。毎週同じ箇所を注意し、直してくるように言っても、何週間も改善されない、そんな生徒のレッスン時間は忍耐の時間なのだ。仕事だから?割り切って?収入のため?いえいえ、音楽を教えるということは、技術を教えることよりも、音楽を通して生き方、物の考え方を教えるのです、とおっしゃる先生もある。ピアノを弾くのは自分自身苦手だけど、音楽の楽しさを伝えたいと言うピアノの先生もいらっしゃる。ピアノの先生にも、いろいろなタイプがあるのだろうが、人生教室ではなくピアノ教室である以上、まずはピアノを弾くことを指導することなしに人生は語れないと私は思う。そんな私は今の時代に適合しないのだろうか?ピアノを楽しんで弾けるためにも基礎をきちんと身に付けなければならないし、家での練習が必要という、当たり前のことが、何でも即席で、楽しいことがいっぱいある今の時代には通用しないのだろうか?
時代も変わって、コンビニやファミレスが流行るように、楽器会社が営利目的でやっている音楽教室に通わせていれば安心という親が増えているようにも感じられる。
求められるピアノ教師像に疑問を持ちながら、私なりの指導方針で長年ピアノを指導してきたが、私はもう、練習もしてこない、やる気のない生徒と忍耐強く付き合うことには疲れた。お互いに無駄なことをしているとしか思えないから。ピアノ教師は引退して、残りの人生を有意義に過ごしたい。演奏活動、作曲、編曲、いろいろやることはある。