伴奏
もうずいぶん前になるが、名伴奏者として知られているジェラルド・ムーア(フィッシャー・
ディスカウなどの伴奏を務めた)の著書「伴奏者の発言」を読んだ時、目が開かれる思いが
して共感をおぼえたものだが、もう一度読みかえそうと本を探したがみつからない。
ムーア氏はイギリス人で、もう何年も前に亡くなっているが、他にもドイツ人のヘルムート・
ドイッチェ氏(声楽家鮫島由美子さんの夫)、日本人では、小林道夫さん、岩崎淑さん等が
名伴奏者として知られている。どの方も、独奏者としても優れたピアニストである。
日本語では「伴奏」、伴われて奏すると訳されているが、ヨーロッパではaccompanyで共に
奏する「共奏」と言った方があたっていると思う。
日本の、特に声楽家には伴奏を軽視する人がいて、自分について来てくれればいいなどと
言う人がいて驚かされることがある。協調性に欠ける勝手気ままに歌いたい性格の人は、
自分が延ばしたいところで一緒に延ばしてくれて、走りたいところは一緒に走ってくれさえ
すれば、いい伴奏者だと思うらしい。それでは伴奏者の音楽家としての尊厳を、まったく認
めていない。ヨーロッパでは、ソリストのトレーニングをしたり、指揮者のような役割を果たす
伴奏者もいて、音大にも「伴奏科」というのがあるくらいだが、日本には、まだないようだ。
シューベルトやシューマンの歌曲、ベートーヴェンやブラームス、フランクのヴァイオリン・ソ
ナタや、多くの室内楽など、伴奏と言うより、音楽の骨格はピアノパートで作られていて、そ
れに歌や楽器のソロが乗っかるような形の音楽も数多くある。そんな場合のピアニストの役
割が非常に重要であるのはもちろんだが、どんな曲であっても、人間と人間が共に音楽をし
て、ひとつの曲を共に作り上げる以上、お互いに相手を尊重し、共に心を通わせ合うことなし
に、よい演奏はないと思う。
そんなことを、また思い返す機会の多い昨今だ。(2004年初夏)